北海道遺産に選定された
ひがし大雪アーチ橋梁群

【 あの橋はなんだろう? 】
 十勝と上川を結ぶ国道273雪線は、ひがし大雪の上士幌〜糠平〜十勝三股の山岳、森林地帯を南北に貫いています。この国道に並行して、まるで古代ローマ時代の水道橋を思わせるような大きな高架橋を所々で見かけます。それらの橋はいったい何ものなのでしょうか?
 それらは、1936年から1955年にかけて造られ、かつての国鉄士幌線で使われたコンクリート造りのアーチ橋なのです。

タウシュベツ川橋梁

タウシュベツ川橋梁

【 ひがし大雪と士幌線 】
 国鉄士幌線は十勝北部の農産物や森林資源の開発に貢献した鉄道でした。1937年9月に上士幌〜糠平間が、1939年11月に糠平〜十勝三股間が開業しました。しかし車社会の到来によって、1978年に糠平〜十勝三股間がパス代行となり、その後、1987年には帯広〜糠平の間も廃止されました。そして、鉄道の廃止とともに鉄道橋としてのアーチ橋の使命は終わりました。

第四音更川橋梁

タウシュベツ川橋梁


【 いまに残る開拓遺産と保存活動 】
 今、私たちが目にするアーチ橋は、鉄道橋としての活躍の時を終え、こんどは北十勝、ひがし大雪の開拓の歴史を伝える近代産業遺産・文化財として、その姿を私たちに見せているのです。地元上士幌町の有志を中心に行政や北海道の土木エンジニア達と一体となった保存の為の取り組みは市民団体の近代産業遺産保存活動の好事例として、全国的に注目されています。

三の沢橋梁

タウシュベツ川橋梁

【 なぜアーチ橋が作られたの? 】
 士幌線は1,000m進むと25m登るという急勾配と半径200mのカーフが続き、終着十勝三股駅は海抜661.8mと北海道の鉄道の駅で最も高い位置にあるなど本格的な山岳路線でした。特に、音更川の渓谷に沿って造られたために、たくさんの橋を造る必要がありました。そこで、工事費を押さえる為に、現地でとれる砂利や砂を使って造ることができる、アーチ橋をかけることになりました。また、音更川の渓谷美に似合った橋の形にしたいということからも、アーチ橋とすることになりました。

第三音更川橋梁

第五音更川橋梁

【 ひがし大雪アーチ橋の特徴は何ですか? 】

 ひがし大雪のアーチ橋は策二次世界大戦前と戦後の2回に分けて、大きなものだけでも15橋梁ほど造られました。

  • 北海道で初めて造られ、全国でも初期の大型コンクリートアーチ橋です。士幌線で作られたアーチの大きさはほとんどが10mです。しかし、泉翠橋の通称で親しまれている築三音更川橋梁では音更川をひとまたぎするために、32mのアーチが造られました。これは当時の日本の鉄道用としては大きなもので、第三音更川橋梁の成功により日本各地で大きなアーチ橋が造られるようになりました。もちろん、このような大きなアーチ橋の建設は北海道では初めてでした。
  • 周辺環境と景観を考えたことです。国立公園の中に造られることを考慮して、周辺の渓谷美にマッチした構造となるようにアーチ橋となったことが記録に残されており、評価されています。

詳しくは、ひがし大雪アーチ橋友の会のホームページへどうぞ。